東京オリンピックの誘致のために建設された、旧国立競技場 | 建設・設備求人データベース

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東京オリンピックの誘致のために建設された、旧国立競技場

2015年08月18日

昭和39年10月10日、東京で第18回夏季オリンピックが開幕しました。
このオリンピックを機に新幹線や高速道路などが急速に整備され、戦後日本のめざましい復興を世界にアピールすることができました。
そのメイン会場となったのが国立競技場でした。

 

国立競技場の歴史

競技場国立競技場の前身は「明治神宮外苑競技場」です。
大正8(1919)年12月に着工され、関東大震災による中断を挟んで大正13(1924)年10月に完成しました。
当時、東洋一の本格的な陸上競技場でした。

 

神宮競技場では、陸上競技だけでなく、サッカー、ラグビーなども行われました。
第2次世界大戦中には、学徒出陣の壮行会も行われました。

 

敗戦から数年後、日本はオリンピック招致の声明を出しました。
そして、国際的なアピールのために昭和33年に「第3回アジア競技大会」を東京で開催しました。
このメイン会場となったのが国立競技場でした。

 

神宮競技場を取り壊して昭和33年3月に完成しました。
そして、アジア競技大会も成功し、昭和34年には、東京オリンピックの開催が決まったのです。

 

東京オリンピックに向けての拡張工事

東京オリンピックを2年後に控えた昭和37年3月から、国立競技場の拡張工事が始まりました。
収容人員増のためのバックスタンドの増設、聖火台の移設、グラウンド地下道の新設、電光掲示盤や夜間照明設備の改修などが行われました。

 

東京オリンピックが終了してからも、昭和42年のユニバーシアード東京大会、第3回世界陸上競技選手権大会、天皇杯全日本サッカー選手権大会、全国高校サッカー選手権大会、ラグビー大学選手権大会、ラグビー日本選手権大会、サッカートヨタカップなど、国内外の様々な大会に利用されてきました。
平成5年にはJリーグの開幕戦も行われました。

 

国立競技場は、国際的な総合競技場であると同時に、全国の公共施設のモデルでもありました。

 

芝生コンディション維持の苦労

芝生のメンテナンス国立競技場のフィールド内の芝生は、建設当時は「野芝」が採用され、東京オリンピック開催決定後の昭和36年からは、「姫高麗芝」が採用されていました。
しかし、春から繁殖する姫高麗芝の生育状況では春・秋のスポーツシーズンの維持管理が困難でした。

 

そこで、昭和44年からは、夏期に繁殖力の旺盛なティフトン芝が採用されました。
しかし、冬期には芝生の状態を維持することができませんでした。

 

昭和56年から12月に開催されたサッカーの「トヨタカップ」では、ヨーロッパチームから芝生の育成について指摘を受けることもありました。
ヨーロッパでは冬でも緑の芝生で試合をすることが当たり前だったからです。

 

しかし、ヨーロッパの芝生は日本の暑い夏には適していません。
そこで、オールシーズン美しい芝生を保っているアメリカのオーガスタゴルフコースの芝の育成方法を参考に試行錯誤を重ね、平成元年からペレニアル・ライグラス(冬芝)による二毛作工法を確立しました。
こうして冬期にも緑の芝生を保ち、年間を通じてコンディションを維持できるようになったのです。

 

国立競技場の解体

2020年の東京オリンピックに備えた新国立競技場建設のため、旧国立競技場は56年の歴史を終えて解体されました。
敷地内の芸術作品や記念碑は移設や一時保管され、スタンド座席やテーブルなどの利用可能設備は全国各地の競技場に譲渡されました。

 

国立競技場のシンボルであった聖火台は東日本大震災からの復興のシンボルとして石巻市に貸与されています。

 

新国立競技場の建設においては、費用面の問題などから紆余曲折していますが、旧国立競技場のように、国の代表的な施設として長く親しまれる建物であることが望まれています。

 

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